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子どもから学んだ、当たり前に「お母さん」の存在

赤ちゃんの手 

出産から1ヶ月が経ちました。

1ヶ月前に壊れそうなほど小さくて繊細に見えていた命は、少しずつ少しずつ大きくなっています。

家族が増えてからの毎日は想像していたよりもずっとずっと大変だけれど、毎日が新しいことの発見で、今まで知らなかった感情と向き合う日々です。大変と言えども、うちは旦那っちがスーパーイクメンなので、比較的ラクなママを楽しませてもらっている方だと思います。(我が子はお腹の中にいた時は「豆」と呼んでいたので、少し成長して「コメ」になりました)
 
 
この1ヶ月で一番大きく変わったのは、私から母への想いだったように思います。

産後、退院から2週間ほど母が来てくれることになっており、退院前日はコメと一緒の生活はもちろんですが、久しぶりに母と一緒に過ごす毎日にワクワクでいっぱいでした。

でも一緒に過ごした2週間は思っていたよりも大変で、楽しみにしていたにも関わらず、些細なことでケンカばかりしました。母は朝は早くに起きてコメをあやしてくれて、栄養を考えて私の3食を作って洗濯も掃除もして、私が仕事で動画で会議に参加している時にはまたあやしてくれて、慣れない街で買い物に行って…と本当にたくさんのサポートをしてくれました。

にも関わらず私は、まだ授乳がうまくできない私とコメに対して、母や旦那っちから「ミルクあげた方がいいんじゃない?」と口を挟まれるなど、今思えばどうでもいいような小さなことでイライラしてあたっていました。私も初めてのことばかりで必死で心に余裕がなかったんだと思います。久しぶりに一緒に過ごす貴重な時間にイライラしてしまう自分にまた落ち込んだりと、今思えばそれが私のマタニティブルーだったのかもしれません。

そんな風に甘えに甘えた2週間の中で私は少しずつコメとの関係を深めていき、子育ての可愛さも大変さも全てを含めて我が子は愛おしくて、「この子の笑顔が絶えることなく続きますように」と何度も何度も思いました。
 
 
母は、私にとっては生まれた時から「お母さん」でした。

当たり前のようにそこにいて、手を差し伸べれば返してくれて、当たり前にごはんを作って掃除・洗濯をしてくれて、困ったら相談にのってくれて…当たり前に「お母さん」でした。

でも、今、私にとってコメの存在は決して当たり前ではなく、旦那っちと出会い恋をして結婚して、たくさんのドラマを経て今、やっと存在する尊い存在です。同じように母にとっても”私”という存在は当たり前ではなく、父と出会って恋をして産んでくれた、母にとっては私が生まれた時からずっと、私は特別な存在だったんだと思います。

「お母さん」の背景にもたくさんのドラマがあり、私がコメを思うのと同じように、我が子である私のことを想い愛し、ここまで育ててくれたんだと気付き、初めて”1人の女性”としての母に感謝の想いがこみ上げてきました。

母が帰る日、コメを抱いて玄関まで見送りに出ると、最後に「コメちゃん頑張って大きくなってね。それから、陽子もがんばってね!」と声をかけてくれた母でしたが、私はその顔を見ることができないくらい、感謝と寂しさとで涙をこらえるのに精一杯でした。
 
 
きっとコメにとって私は当たり前に「お母さん」で、私がコメに出会うまでの背景やドラマなんて興味がないと思います。でも、コメが元気で幸せに笑っているなら、そんなことはどうでも良くて、ただ私は差し伸べられた手を温かく握り返してあげられるように、母がそうであったように、当たり前に「お母さん」でいてあげたいと思う日々です。

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