「女子力」と戦うエッセイ

変わらない幸せがある場所

旭山動物園:ペンギン

「すごいよな、文章書けるって」ってと言ってもらった。

日本語だもん。日本人なら誰でも書けるでしょ?と思いながらもすごく嬉しくて、照れ隠しに「でも、文章しか書けないよ」と言った。
   
誰とでもすぐに仲良くなれる子を見るとうらやましくなるし、英語を話せる子を見るとかっこイイって思うし、服が好きだという子に会うとステキと思うし、オシャレなデザインできる人を見ると私もそんなデザインしたいなーと思う。

でも本当は文章を褒めてもらえるのが一番嬉しい。
   
私は、言葉が人との関係、思考や行動を始めとした生活、それから未来をつくると思っているから、どの言葉を受け入れて信じるかは大切に選んでいる。

でもまだまだ未熟で、うまく言葉のチカラを使えないこともあって、自分で勝手に違う言葉を選んで泣くことも多い。後でその言葉を発した相手の意向といまいち食い違っていてビックリすることも多い。
  
先日、大好きな人がこんなことを言っていた。

「明日もイイ関係で過ごそうと思ったら言わないほうがいいこともある。それは我慢するんじゃなくて、相手との関係を大切にすること」みたいな内容。

感情的になりそうな時ほど、明日を思い描いて音にする言葉を選ぶようにしている。そうすればいろんなことがうまくいく。
 
悩んでいる時、仲良しに「人生は諸行無常だ」と言われた。嬉しいことも悲しいことも移ろいゆくのが人生なんだと。

そんな不安定なこの世の中で何を信じたらいいのかわからなくなって、諸行無常だとはわかりつつも確かなものが欲しくて、私は持ち物検査を始めた。自分が持っているものや関係、肩書や居場所を1つずつ丁寧に見直した。
 
「これは今は信じられるもの、でも移り変わるかもしれないもの。」「これは誰かが言ってた噂話で現実かどうかすらわからないもの。」「これは今はここにあるけど、形あるものはいつか壊れるもの」という具合で順番に。
 
そうすると確実なものなんてほとんどなくてこの世はなんて儚いんだろうと思ったけれど、唯一残った確実なものは「私は書くことが好き」というもので、ただそれだけなのにすごく安心した。

これから世の中がどう移ろい変わってもこうして言葉を並べて何かとりとめもない気持ちを伝えるのが好きなことは変わらないし、私の仕事が変わっても、周りを取り巻く人間関係が変わっても、「私は書くことが好き」、それは変わらないんだろうなと思ったら、諸行無常な世の中に対して怖いと思うものが減ったように感じた。
   
変わらないものはいつも私の中にある。

私は、文章しか書けない。しかも日本語で。
でも、文章が書ける。
伝えたいことはそこに言葉となって生み出されていく。
 
それが誰かの心に届くなら、それで十分幸せだし、やっぱり文章を褒めてもらえるのが一番嬉しい。