ちょっと成長

誰のために、何のためにやるのかわからなくなった時

トマトチキン煮込み

私はそんなに多くの人には心を開けない方だから、親しくなった人とは1人1人すごく大切に付き合っているつもりだけれど、それでもすれ違ってしまうことがあって、相手のためをと思ってとった言動でも裏目に出てしまうことがある。

少しでも笑ってほしくて話しかけた言葉で、「怒ってる」と言われて逆に責められて意味がわからなくなったりするのは、単純に私のコミュニケーション障害が原因なんだけれど。
 
 
数ヶ月前からずっと同じような人間関係で悩んでいて、「がんばろう」と思ってとった行動がまた裏目に出て、刺さる言葉を投げかけられて、どうしようかと悩んだ日もある。

昔、人生で迷っていた時に言われたことがある。

迷うなら、自分が1番幸せになれる方法を選び

と。「でもそれって、周りの人に迷惑じゃない?自己中じゃない?」と聞いたら「自分が幸せじゃないのに誰かを幸せにできると考えてる方が高慢」だと教えられた。

相手に幸せになって欲しいから、と思って選んだ道では、相手は本当に幸せになるかなんかわからんやろ?結果、相手も自分も幸せじゃなかったら、幸せになる人はゼロ。でも少なくともおまえが幸せになれば、世の中に1人は幸せな人ができるやろ?それが正解や

と言われた。
 
 
ずーっと人間関係で悩んできて、今週末私が辿り着いたのは、「もはや、私、何のために頑張ってるのかわからん」と言うところだった。
 
 
私の全ての原動力は「尊敬する人と働いてその人に必要とされること」なのに、あるトコロではいろいろあって一緒に働けなくて、役に立ちたくて自分のできる限りの事を調べてレポートにまとめて提出してみたもののその人にとっては必要としていないものだったり、一方では「別にそこを期待してない」と言われたり。

もちろん、本当に必要なものに対する私のリサーチ不足であったり、資料の読みやすさ読みにくさの至らなさもあると思う。この状態で「必要」だと言ってもらっても、私の場合、「必要だ」と言って欲しいわけではなくて、私が「必要とされている」と実感できなければ意味がないからやっかいこの上ない。
 
 
そんなことで悩んでいる時、ふとある仲良しに言われた。

kayaちゃんにはいつも笑っていて欲しいん。

と。ふいの言葉が心の冷たくなっていたところに触れて、目が潤んだ。
 
 
「お世話になった人のために」「支えてくれている人のために」「好きな人のために」と、誰かのために頑張ったり時間を割いたり、考えて行動している人も多いと思う。ただ好きな人に、尊敬する人に喜んでもらいたくて毎日一生懸命な人もいると思う。私もそうだし。

でも、誰かのために、何かのために、一生懸命一生懸命頑張っても何の意味もないこともある、届いて欲しい相手の心に響かないことがあるんだと知って、もう「誰かに笑顔になって欲しい」とか「何かのために頑張る」のは、やめようと思った。

頑張っても頑張っても、誰も幸せじゃないのに、「あの人のために」と思って頑張るのは、もう無理だし、無意味だ。
  
 
だったら、自分が1番心地良くいられる空間に身を置いて、誰も幸せにできなくても自分が幸せでいられる方法を選ぼうと思う。

「あの人に認められたい」「あの人に褒めてほしい」は叶わないかもしれない。でも、想定している「あの人」じゃなかったとしても、あなたが幸せそうでいれば、その姿はきっと誰かが見ていて「あなたが幸せそうで嬉しい」と言ってくれる人は絶対いる。絶対絶対絶対いる。

その人が本当にあなたの幸せを応援してくれる人だと思う。
 
  
 
あー、しんどかったー笑