強みを収益化するデザイン、作ります!

それでも表現したいと思うのがアーティスト

お金になってもならなくても、需要があっても無くても

一周まわって何がしたいのかわからなくなった。仕事では、企画もするし、文章も書くし、サイトのディレクションもするし、バナー製作やフライヤー制作のデザインもするし、数字の管理もするし、幅広くなんでもやっていて何でも屋さんというより、もう雑用なんじゃないかと思うレベル。

過去には、ヨガインストラクターやライターをやっていたこともあれば、パーソナルカラーリストや骨格診断の資格、色彩検定1級の資格も持っていて、ヨガ数秘学もできて、資格マニアなのか?と言われればそんなことはなくて、ただ、興味の幅が広すぎるのと飽きっぽいのが問題。

今はヨガ哲学の勉強をしていて「ヨガ哲学伝えるー!」と燃えていたけど、「じゃ、ヨガ哲学に全力投球できるのか?」と考えれば考えるほど、心の中がザワザワして、もう何が正解で何が正しくないのかがわからなくなった。

こうなると頭の中もフリーズするので、ひとまず目の前の暮らしを大切にしようと思い早起きしてヨガしてパンを焼いて、ブレックファーストティーを淹れたりと、丁寧な暮らしをしながらモヤモヤに蓋をして幸せを噛み締めていたら、「あれ? もう、私、別に何もしなくてもいいんじゃない?」とか思い始めていた今日、久しぶりに仕事のパートナーとランチした。

彼は私のTwitterをちゃんと見てくれていて、「モヤモヤしとるなー」と笑いながら相談にのってくれた。

結論だけ言うと、「お金になってもならなくても、需要があっても無くても、書きたいものを書く。作りたいものを作る。それがアーティストや」という言葉にぐっときて、私はやっぱりエッセイを書きたい、と思った。

今現在、需要は皆無。エッセイ書いたからってTwitterのフォロワーは増えないだろうし、エッセイのタイトルなんてSEO対策しないので検索流入もないしPVも増えなくて、アフィリエイトなんてGoogleのアドセンスで1万円が限界だと思うし、「書く意味あるん?」と思う時もくるかもしれない。

でももう、意味も価値もなくていい。コミックエッセイは人気だけれどイラストは描けないし、読みやすくするために”吹き出し口調のエッセイ(どんな?)”を書きたいわけではない。

今は亡き、私の自慢の父親は自分の世界観満載のオブジェを作って大きな賞をとった。私が幼稚園くらいの時の記憶だけれど200万円ほどで売れた。私にも同じ血が流れていて、世の中の役に立つとか立たないとかではなく、お金になるとかならないとかではなく、「表現せずにはいられない」と思うものを大切にすべきだと気づいた。

もし、私に「ファンです!」と言ってくれる人ができるなら、それは、私のハウツー記事ではなくエッセイであって欲しいと思うから、まずは溢れんばかりの私の世界を言葉にしていくことにする。