ちょっと成長

時間の使い方が変わって気づいた大切なこと

横浜観覧車

私は”私”にしかなったことがない。

尊敬する人、憧れる人が「右はこっち」と左を指せば「あっ、右ってこっちだったのか」と信じ、「kayaの今年の目標はコレ。俺はできると思う」と言われれば「あっ、私、そのくらいのことができるようになったんだ」と疑うことなく努力を重ね、「ビジネスは結果が全て」という言葉の下、結果が出るまであきらめない。なのに自己評価は割と低めで私にできることはだいたい世の中のみんなもできることだと思っていて、当然のように同じものを求めてしまって「それは違うやろ」と怒られる。プライベートとなれば全然ダメで電車の乗り間違えなんて日常茶飯事で、よく転んで傷だらけだし、しょっちゅうコーヒーこぼしてみんなに心配されるし、すぐ泣くし完全に妹キャラで少しのことでテンパって泣いて、生きづらいこと盛りだくさん。

コレが私で、私の生きる世界の基準は全てが”私”だ。
 
 
そんな私をよく知る人は私のことを「コミュ障」と呼ぶ。

子どもの頃から無駄に敵を作るのが得意で、いじめられたり仲間はずれにされることも多かったので、知らない内に「他人の目は気にしない。私は私の生きたいように生きる」スキルだけが高まって、輪に入るとか、周りに打ち溶けるスキルが低いことは早々にあきらめた。結果、「仕事のスキルを圧倒的に高める」ことで職場において周りの反感を買わない力を手にした。

けれど、とあることをきっかけに、私の考え方は周りに不快な想いや迷惑をかけてしまうことがあり得ることを知った。(まぁ、知ってはいたけど、それすら無視して生きてきた)
 
 
尊敬する人、同じテンションで働けると思っていた人との距離を置き、いつも話をしていた仕事の悩みや相談、これからのことなど話す時間がなくなってしまったことはあまりに悲しくて、「あー、もう仕事変えようかな」と思うことも何度もあった。

尊敬する人たちと時間を共にし、仕事のスキルを高めること、想像してなかった新しい刺激をもらうこと、それだけが楽しくて仕事をしてきたのに、そんな人たちと引き離されることは、私にとっては「仕事のやりがいを奪われた」に近いものだった。
 
 
でも、時間ができたおかげで今まで読みたくても読む時間のなかった本をがっつり読み漁ることができた。それから、今まであまり接点を持っていなかったスタッフのみんなと過ごす時間ができて、知らなかったみんなの一面を見ることができた。

私は、人格に問題有りと言われ続けてきたので、いつも私が紹介される時は「こいつは仕事”だけ”はできる」というもので、それを不満に思ったことは無かったけれど、今回スタッフのみんなと接していて、「人としてすごいな」と思うところがたくさんあることを知った。

私が泣いている時にそっとやってきてよしよししてちゃんと話を聞いてくれる仲間や、「kayaちゃんがみんなに”ここで働くことを楽しいと思って欲しい”と思ってくれているように、みんなもkayaちゃんにも、ここで働くことを楽しいと思ってほしいと思ってるんだよ」と言ってくれる仲間や、困ってる時に自分の仕事じゃ無いのにそっと「手伝う?」と言ってくれる仲間がいて、自分がいかにみんなのことを知らなくて、みんながいかに人としての魅力が多々あるかに気づくことができた。
  

尊敬する人、憧れの人たちと仕事をするのは確かに楽しい。予想外の発想がたくさんあるし、どんどん高くまで引き上げてもらえるし、人生において「未来を創り出す仕事」以上に楽しいものはそんなに知らない。
 
ただ、そこだけを見過ぎていて、見えてなかったことがたくさんあることを知って、自分の人としてのレベルの低さに驚いた。
 
  
私は30数年間、私にしかなったことがない。

「それは異常だと思う」と教えてもらわないと、この感覚や自分の信念が正しいのか間違っているのか、それすらわからない。でも、こんなわがままで自分勝手で異常値を出してしまう私だけど、仕事の面では頼ってくれて、人としては支えてくれる、そんなみんながいてくれるからこそ、”私”が”私”で成り立っていられる、と、みんなの有り難さに気づけたのはすごくイイ機会だったと思う。
 
 
改めて、一緒に働いてるみんな、大好きな先生やお姉様方、いつも支えてくれて、ありがとうございます♡