運命の神様に本気度を試されている

人生は思いがけないことの連続だ。
仕事でもプライベートでも予定通りや想定内に行くことなんてまずない。
どれだけ準備をして挑んだことだってギリギリのところや途中で必ずハプニングが起きる。次の時には改善して「これで大丈夫」と思っていても、また新たな事件が勃発する。仕事というのはハプニングの連続でそれをいかに早く適正な方法で処理できるか、だと最近思っている、くらいにハプニングが多い厄年。(もしくは私の注意が散漫)
仕事ならまだ挽回できるけれど、プライベートの想定外のハプニングは痛手が大きい。
世界で一番幸せな気持ちで初夏の風の中を歩いていた数週間後に、立ち上がれなくてごはんも食べれないくらいのショックなことと向き合うことになったり。必死で頑張って手に入れたと思ったものが幻想だったり。
だなんて言うけれど、ピンチをチャンスに変えれるかどうかはなその人の力や想いによって変わるし、人生のピンチを「チャンスだった」「あの辛い経験があって良かった」と思えるようになるのは、そのピンチからもっともっとずっと先の話。
もちろん、逆に「もう無理だ」と思った時には必ず助けてくれる人が現れて、みんなのたくさんの優しさに触れて涙することもだくさんある。人生は思いがけないことの連続だ。
でも、できる限りのいろんな可能性を考えて生きているつもりでも、いざ「可能性が低いと思っていた場所」に立たされると対処できなくなってしまうこともある。特に新しいことを始めようとした時、何かを決断した時、そのすぐ後に誘惑や邪魔が入ったり壁ができたりと障害物が生まれることが多い。
例えば、朝「今日からダイエットしよう」と決めたにも関わらず、午後には仲良しが珍しいスイーツを持ってきてくれたり、「今日から残業をやめて早く帰ろう」と決めた日に限ってどうしても逃げられない仕事をふられたり。
昔、何かで読んだ。
と。
何かを決断した時、意思が弱ければ誘惑や邪魔に負けてしまう。だったらそこまでだったということでそれ以上頑張る意味がない。
運命の神様は、そう問いかけているらしい。
この言葉に出会って以降、新しい決断を下したあと「なんで今のタイミングでこれが起きる?」と思うことがある度に「あー、私今試されているんだな」と考えるようにしている。それだけで負けず嫌い根性が湧いてきてがんばれる。こんなところでつまずいている場合じゃない、と奮起できる。
最初に大きな波を乗り越えておけば、次に波が来ても「あの大きい波を乗り越えたから」とまたがんばれる。本気で何かを決めた時に、誘惑や邪魔が入ったなら、目の前に大きな壁が見えたなら、それは障害物ではなく、あなたの気持ちをより強固にしてくれるものかもしれない。
ヨガ哲学に
という言葉がある。グルとはサンスクリット語で「指導者」「教師」という意味。受け手が受け入れる準備ができた時でないと、指導者は現れない。もしくは。そこに指導者やあなたを成長させてくれる存在がいたとしても、気づかないまま過ごしているのかもしれない。
だって「ダイエットしたい」だなんて思わなきゃ、どんな美味しいスイーツも障害物にはならないから。
人生には辛いことも悲しいことも、予期せぬこともたくさんある。でも(神様なんてものがこの世にいるとは思わないけれど)運命の神様は、必要な時に必要なものを届けてくれるらしい。
そう思われているなら、逃げるなんて選択肢は最初から無い。
※現状、特定の人物に向けて書いているようなメッセージになってしまったけれど、そんなつもりではなく、私は私の理想をこれからも追い求めていくよ、という話です。