ちょっと成長

“大人になる”は可能性の質を変えることへの挑戦

ばんごはん

(週末の晩ごはん♡)

つい先日

kayaちゃんは大人になったら何になりたいん?

と聞かれた。

「大きくなったら」だったか「将来は」だったか忘れたが、そんなニュアンスのことを聞かれた。「文章を書いて生きていきたいし、本を出したい」みたいなことを答えようと思ったら、まだ答える前に相手に笑われて「まだ答えてない…」と思い、キョトンとしていると言われた。

いや、大きくなったらって聞いたけど、もう十分大人やなーと思って。

と、笑われた。

確かにそうだ。もう十分に大人だけれど「将来何になりたい?」になんの違和感もなく夢を語ってしまいそうになった。
 
 

子どもの頃に「大人になったら○○になりたい」と言う時にイメージしていた年齢って何歳だった?

と問われて、子どもの頃「私、大きくなったらピアニストになりたい!」と思い描いていた将来像を考えてみると「27とか28歳くらいかなー」というのが正直なところだった。

もうあっという間に少し前にそんな年齢は通り過ぎていて、気づけば子どもの頃に思い描いていた「大人」よりもずっとずっと少し大人になっている。

「ピアニストになりたい!」を夢見ていた私は、18歳の頃にある覚悟と共に大好きだったピアノの鍵盤の蓋をそっと閉じた。それから時々気まぐれに弾くことはあってももう本気で弾くことはなく、そんな私がピアニストになることはないだろう。
 
 

選んだ優先順位の果てに今がある

ピアニストになりたかった。なれなかった。
今思うと、なれなかったのではなくて、ならなかった。

その時、何がなんでも「ピアニストになる」を優先させれば、今考えたらなれたようにも思う。けれど、当時の私が選んだ優先順位はそこが1番じゃなかった。

才能のあるなしや周りからの評価で夢を諦めなきゃいけないこと、いろんな事情で叶えられないこともあるかもしれないけれど、ほかを優先させるということは、きっとそこが1番大切で守りたいものではないんだろう、と今なら思う。

それが悪いとかイイとかではなくて、後から振り返ったとき「これで良かった」と思えるなら、その優先順位のつけかたは間違ってないんだろう。
 
 

大人になるということは可能性の質を変えること

私もまだ今現在、夢半ばで、子どもの頃に思っていた「大人」よりも少し大人になってしまったけれど、まだまだ叶えたい夢がたくさんある。

確かに、子どものころはまだ「なんにでもなれる可能性」が高くて、大人になるにつれてその可能性は減っていく。でも、子どもの頃には「なりたい自分になれる可能性」はまだまだ低かった。スキルも経験も知識もアイデアも何もなかった。

真剣に生きていれば、大人になるにつれて「なりたい自分になれる可能性」は子どもの頃よりも高まっているはずで、それはただ可能性の質が変わっていった結果なんだと思う。

私が今、「これやりたい」「あれやりたい」と思い描く夢は、そう遠くない未来に用意されている気がする。だからもっと大きな夢を描けるようになった。

そう考えると、多くの可能性を失ってはきたけれど、今描く夢に対して「子どもの頃の私」と「今の私」とで比べたら確実に夢への道を歩んでいると思えて、少し自分の生き方に自信が持てた。

大人になるということは「可能性の質を変えること」への挑戦なんだろう。