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フリーランスとして、ママとして、自分をブランドにする生き方|栢原陽子

書くこと

「面白い文章とは?」を考えると”書くこと”が好きな理由がわかった

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今日もスタバ

今日も私は5:00に起きて1時間半かけて上京して7:15頃から中目黒のスタバでお仕事中。
ダブルトールノンファットエキストラホットラテのグランデにキャラメルソースがけというよくわからないカタカタがいっぱいついた飲み物を飲んでいます。無料券を使ったのでグランデにしたけど、大き過ぎて見た目があまり可愛くないという難点があることに気づいた朝。人はこうやって大人になっていくんですね。

さてさて、年末、忘年会の時にスタジオスタッフの子に「kayaさんのブログ、めっちゃ面白いですね!!」と何度も言ってもらって「そこまで褒められると恥ずかしいんですけど…」という経験をした。

自分が書いたものを褒められるのは本当に嬉しいけれど、「面白い文章」と「面白くない文章」の違いが正直私にはよくわからない。一生懸命心を込めて書いた記事でも思ったほどの閲覧数にならなかったり、Facebookでも「いいね」がつかないこともよくある。

でも「面白い」「つい読んでしまう」と言ってくれる人がいる限り……いや、いなくても私は「書きたい時に書きたいことを書く」から別にいいんだけど、「面白い記事とは?」のテーマが気になったので考えてみた。

面白い記事に最低限必要なものは「読みやすさ」

根本論「読みにくい」はNG。
私も他メディアで書く時には何度も読み返して誤字脱字をチェックするけれど自分のブログではそこまで時間をかけていないのでさらりと終わらすことがある。そういう時には後から読み返して「誤字脱字多いな…」と思い慌てて修正するけれど、誤字脱字、日本語の文法的な間違いがあると読んでいて違和感を感じるので、内容よりもそっちが気になってしまう。

自分で「文章が上手いです」というつもりは全く無いし、読んでいて「こういう文章を書けるようになりたい」と思う尊敬している書き手さんもたくさんいる。でもいくらすごい文章でも「こんな文章を書きたい」とは思わない人もいる。その違いは単純にスタイルが違うこと。

文章を書く時に私がこだわっているものは2つある。

書き手によって異なる「リズム」

1つはリズム。どのジャンルの音楽が好きか、という話に似ているけれど、人それぞれ文章にはリズムがある。私は時に「ですます」と「である」を混合させて使う。これは文法的にはNGだけれど、そっちの方が伝わることもある。

意図的に「、」を増やすこともある。読んでいる人、私が感じているものを感じたままに読んで欲しいから、同じタイミングで呼吸をして、同じタイミングで立ち止まって欲しいから。

私の文章が好きと言ってくれる人とはリズムが合うんだろうと勝手に思っている。

inputとoutputでカラダの使い方を変える

私は感受性が強く喜怒哀楽が大きい方。親しい人たちに言わせるとわかりやすいけどめんどくさい。そりゃそうだろう。

でもこの「感じる」は文章を書く上で大切なことだと思う。その場にいて、何を見て何を聞いて何に触れてどんな匂いがしてどんな皮膚感があって何を感じるのか。それが私が観ている世界だ。

同じものを見て聞いても人によって感じ方は大きく違う。私は私が観ているものを、観えている以上に感じて想いを作る。

何も感じていない人の想いのない文章を読んで、読み手に何かが伝わるなんてことはない。書き手が200%の想いを込めて書いて、ようやく10%ほどが伝わるくらい文章なんて読み手の捉え方に左右するもの。

inputする時には「五感を大切に」outputする時には「論理的に」

これが私のルール。

感情に任せて書きたいことを書いていたら「読みやすい」とはほど遠い文章になってしまう。言葉の選び方、並べ方、文章の構成、重複の有無など「読みやすい伝わる文章」に変換するためには論理的に考える。

もっともっと「面白い」と言ってもらえる文章を書けるようになりたいから。

本当にすごい「面白い文章」とは?

ここからが私が最近考えた「面白い文章とは?」の話。

本当に「面白い文章」「すごい文章」とは、

短い文章で情景を思い起こさせる、心を震わせる力のある文章

だと思う。(2016年1月時点の私の考え)

デジタルの世界で考えるとテキストデーターは軽い。半角であれば1文字は1byteで全角であれば1文字は2byteという軽さだけれど、画像や動画になってくると容量は一気に大きくなる。そこには大量の情報が含まれているから。

多くの情報が提供されるということは、それだけ自分で考える必要がないのでラクだ。けれど一方で、与えられた情報以上の想像ができなくなってくる。

言葉は、書き手の言葉の選び方と相手の想像力次第で、画像や動画で用意された以上のものを想像させることができる。「このセリフを言う人はどんな顔やスタイルでどんな声なんだろう」を全部想像させることができる。時には期待を裏切り、時には期待を超えるからこそ面白い。

これが最近私が考えた「面白い文章とは?」の結論であり私が”書くこと”に惹かれている理由。
 
だからこそ私は「言葉」で勝負したいし、もっと相手に想像させる、楽しませる文章を書きたい。
そのためには、書くしかない、もっともっと。

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