「女子力」と戦うエッセイ

“価値を生み出さない時間”に使う時間のかけがえのなさ

チョコレートケーキ

昔から「時間」を大切に想う気持ちが人よりも強かった私は、常に「生き急いでいる」と言われるほど「成長すること」をテーマに無駄のない時間の使い方をしてきた。(まぁ、それが一番遠回りだったりするんだけど)

ピアノと勉強が好きだった学生時代から、読書とバイトに明け暮れた大学生時代、社会人になったら寝る時間を削って誰よりも働いた。その分一直線に大人になり過ぎて、周りを見ていなかった私は世間知らずに育った。(月餅を知らなくてバカにされたのは印象深い思い出)
 
 
フリーランスで働くようになってより一層時間を大切に想う気持ちは強くなり、1時間あたりの自分の価値を常に測るようになった。「私が1時間働けばこれだけの収入になる」と考えていると、その単価を上げることが楽しくなるし、少しでもたくさん働くことで収入が増えるのも嬉しかった。

今フリーランスで外部契約でありながらも、1つの会社で長い時間働く環境を作っていて、自分の価値を考え直すことがよくある。仕事自体はすごく好きなので不満はないけれど「この仕事、本当に私がやらなきゃいけないのか?」と考え始めると、いろんな時間がもったいなくなってくる。
 
 
「時間がもったいない」と考え始めるともういろんな時間がもったいなくて、最近は「食べる」ことに興味を失った。1日2食で1食はだいたいパイナップルとブラックコーヒーというセットで終わっていく。ジューシーなパイナップルを選ぶのもだいぶうまくなった。

お昼に外に行くのは仲良しに逢いたい時、もしくは誰かと仕事の話をしたい時。そうじゃないとお昼休憩をとる意味もあまり感じなくて、それなら1つでも多く仕事を終わらせるほうが楽しいし、満足できる。
 
 
少しでも効果がある働き方をしたいし、逆に言うと私がする必要がないことはドンドン甘えてお願いしていくことにしている。
 
 
そのくらい”時間”は有限で大切なものだから、面白いこと、尊敬する人、大切な人と過ごすために使いたい。仕事は好きだけれど、相手の時間を軽んじる人とは一緒にいたくないし、働きたくないと思う。
 
 
その「時間の脅迫観念」はプライベートでも発揮されていて、時間があれば仕事のことを考えるか勉強していたい。少しでも成長したい。ずっとそう思ってきて今でもそう思っているけれど、同じ空間にいる相手が好きな人となればそれはまた話が別。
 
 
くだらないメールをする時間、手をつないで歩く時間、「行ってらっしゃい」とお見送りする時間。どれも世の中に何の価値も生み出さない時間だけれど、この時間を大切に共に過ごすことで、私がどれだけ相手を大切に想っているかを伝えられる気がする。

昔、彼が超多忙なタイミングで誕生日を祝ってくれた時に、夜景のキレイな大人なレストランに連れて行ってもらったけれど、鳴り止まない電話で何度も席を立たれて寂しくなったことがある。それ以来、誰かと一緒にいる時にはなるべくスマホを触らないことにしている。一緒にいる相手に捧げたはずの時間なのに、ほかに気をとられているということは、同じように思ってくれた相手の時間をも奪ってることになるから。
 
 
自分が忙しくなればなるほど、好きな人のために割く時間を貴重で大切にしたいと思うし、逆に忙しいはずの彼がせっかく用意してくれた時間なら大切に使おうと思える。2人でいる時間なんてダラダラしていたり、どうでもいい話題で盛り上がっていたりと本当に世の中から見たらなんの価値もない時間だけれど、私にとってはかけがえのない時間だ。

相手もそうであればいいな。