「書くこと」を考えるエッセイ

情報の価値は受け手が決める

高尾先生と

世の中にはたくさんの言葉が溢れているけれど、各言葉や情報には「伝える価値」の違いがある、そう思っていた。例えば地震が起きた時の速報は誰にとっても価値の高い情報であり、日曜日の昼間にやってるような芸能人がお散歩して温泉に入っている情報は一部の人を除いて価値は低い。(お昼にやっている「やってトーライ」は録画して見るほど好きだけれど)

この視点で見ると、レポートのお仕事は伝えるべきものが明確にあり、依頼してくれる人、求めてくれる人のいる価値の高い情報と言える。私もその重要性はわかっているから、レポートのお仕事をいただいた時にはいつも言葉にできない空間や雰囲気、想いをなんとか言葉にすることにこだわってきた。
  
昨日、いつもお仕事でお世話になっている産婦人科医の高尾美穂先生と、お仕事仲間のゆうきさんと3人でごはんを食べに行って率直に言われた。

「kayaちゃんの渾身の作、別に普通だったよ!」と。
(渾身の作:“想い”は選ばれた言葉によってカタチになる

グサッときた。結構想いを込めて書いたし、何より表現のレベルが上がったことを確信した作品だったから。(自己満足だけれど)

でも、その後続けて「あれより、いっつも書いてるブログのほうが面白い」と言ってもらった。一緒にいたお仕事仲間のゆうきさんも「俺もそう思った」と言っていた。 
 
渾身の作を「普通」と言われてしまったことは衝撃だったけれど、誰にともなく書いているこのブログを好きだと言ってもらえたことは小さな自信になった。

情報の価値は受け手が決めることなんだろう。

レポートを喜んでくれる人、楽しんでくれる人がいる一方、なんでもないブログを好きだと言ってくれる人がいる。今は私が書いたものを通して、”温める”でも、”揺さぶる”でも、”ドキドキさせる”でもなんでもいいから、誰かの心が動いてくれることに意味があると思うし、それがイイ文章なんだと思う。
 
ちなみに高尾先生が好きだと言ってくれた記事はコレ。
>>言葉は人生を左右する